小学一年生の時の話である。
学校からの帰り道、担任教師から言われた交通ルールを守って道路の右側を歩いていると、だめだよお、と後ろから声がした。振り返ると、クラスの中でガキ大将だった女の子と、彼女といつも一緒にいた悪戯っ子の男の子、それから一学年上のお姉さんが立っていた。
「右側歩かないといけないんだ」
男の子がニヤニヤしながら言った。子どもによくある、からかうような意地悪な調子で、その裏には先生に言いつけてやろうという意味が込められている。気が弱かった私は、悪いことをしていないのに三人の威圧感に簡単に委縮してしまった。うつむいて、右側だよ、と口ごもると年上の子が道路の左側を指して、こっちが右だよと自信満々に言った。意味が分からずポカンとしていると、彼女は続けた。
「朝来る時にこっち歩いてきたでしょ。だからこっちが右なんだよ」
お箸を持つ方が右、お椀を持つ方が左。右利きの私はよくある方法で左右を両親から教わった。右とか左とか言われて分からなくなった時は、いつも両手を出して確認した。だからこの時もとっさに両手を取り出してみた。やっぱり自分の歩いているところが右側だと手が言っていた。
だけど二年生に言われたことに対して、そうかもしれない、と思ってしまった。自分の両手で確かめる左右が正しいと心の片隅では思いつつも、「朝はこっちが右側だった」という経験を目の前に突きつけられると、私の心はぐらぐらと揺れた。確かに、朝そうだったものが、どうして帰りの時間には変わってしまうのか。「右側」というシールをぺたっと道路の片側に貼ってしまえば、剥がれることはないのかもしれない。そんな気がした。
何となく違和感を覚えながらも、楽しそうに歩く三人から少し距離を取って、その日は左側の歩道を歩いて帰った。それぞれが立つ視点によって左右は異なるのだということを、私はよく理解できていなかった。
いつ左右の概念をちゃんと手に入れたのかは、まったく覚えていない。気が付いたら分かるようになっていた。理解した瞬間ではなく、ただ迷っただけの思い出が強烈に残っている。
当時の通学路を今はただ、実家に帰省する時にのみ車で通過する。あの日私が両手を眺めながら佇んでいた場所を一瞬で通り過ぎる時、何となく同じ気持ちが蘇ってくるような気がする。
初出:詩誌「乾河」85号(2019年6月1日発行)