お盆の醤油汁


 お盆の時期に親戚が家に来ると、祖母はよく、豚の小間切れ肉と薄く切った絹ごし豆腐だけが入った醤油味の汁物を作った。
 子どもの頃の私は、この汁物が食卓に並ぶと「今日は特別な日」という気分になった。実際、その時の食事は普段よりも豪華なことが多かった。訪れた親戚のために買ってきた総菜や寿司を分けてもらえたからだ。
 汁物自体はとてもシンプルなもので、肉を入れているからか出汁の類は入れていなかったように思う。汁の味はとても薄く、子どもの私には物足りないぼやけた味だった。調味料はおそらく醤油しか入っていなかったのだと思う。

  私は、お盆のいつもより豪華なおかずは嬉しいけど、この醤油汁はあってもなくてもどっちでも良いな、と思っていた。お椀の中の汁は透き通っていて、二口くらいで食べ終わる量の豚肉と豆腐が入っている。汁の表面には豚肉の脂が浮いてぎらぎらしていた。汁物は食事の最後の方に残しておく癖がある私は、いつも冷めた汁をすすっては、あまり美味しくないなと思っていた。今思えば、温かいうちに食べれば良かったのだけど。
 でも、親戚が来る度に祖母が張り切ってこの汁物を作っていることはよく分かっていたから、子どもながらに、「いらない」とか「美味しくない」とかは言ったらいけないのだろうなと感じていて、いつも黙って食べた。祖母が若かった頃は豚肉がご馳走だったのかもしれないなと勝手に想像しながら。
 こんな風にあまり好きではなかったくせに、この醤油汁が食卓に並べばいつでも特別な気分になったので、口には合わないけれど嫌いにはなれなかった。

 夏の暑さにばててしまわないように豚肉で精をつける、という祖母のもてなしの思いがあったのかもしれない。大人になってからはそう考えるようになった。
 実家を出てからはこの醤油汁を食べる機会はなく、祖母も身体が弱り台所に立つことはほとんどなくなったので、たまに帰省をしても手料理を食べることはもうない。

 今年の夏、突然思い立って、この汁物を初めて自分で作ってみた。やっぱりそんなに好みではないなと再確認することになった。だけど、これよりも美味しいものを沢山知っているはずなのに、食べたこと自体には満足している自分がいた。その気分が私はとても不思議だった。
 実家に居た時は、祖父母の好みを優先して塩分を控えた食事をしていたので、家を出てからは自分の口に合う濃い味のものばかりを私は作っていた。自由に食べたいものが作れることが楽しかった。だけどこの時は、生まれて初めて懐かしさだけを味わいたくて料理をしたのだと気づいて、そんな自分にびっくりした。





初出:詩誌「乾河」90号(2021年2月1日発行)




<< 散文へ戻る